南郷ジャズの鳴海さん
〜「キラリ光る」街の創り方〜
「俺の親父さ、南郷ジャズ始めたプロデューサーなんだよ」。私が通っている空手の道場の師範が、初めてお会いしたときこう言った。ええ!!??
南郷ジャズフェスティバルといえば、旧南郷村でもう30年も行われている、国内外で活躍する音楽家を招いてのフェスティバルだ。緑の木々に囲まれた贅沢な場所で、世界一流の音に触れる。「過疎の村」と呼ばれた南郷を、「世界の南郷」と呼ばれるまでに押し上げたフェスティバルと言っても過言ではない。
しかし、誰がどんな仕掛けをして、これほどのレベルの高さを保ち、また規模を広げてきたのだろう、と純粋に疑問に思っていた私。その仕掛け人が、まさか師範のお父様だなんて、これは会いに行くしかないと、初めてご本人を訪ねたのが今年の夏のことだった。
青森市の中心街にあるジャズ喫茶「disk」。音楽プロデューサーの鳴海廣さんは、長年このお店を営みながら、フェスティバルに関わってきた。店内に入った瞬間に、身体を包みこむような、突き抜けるような音楽が流れるそのお店は、設計から調度品、オーディオに至るまで全てが、鳴海さんのこだわりで作られ備え付けられたオリジナルの空間で、ジャズ愛好家で知らない人はいないと言われるほどの名店だ。
「音楽っていいなあ、となんとなく思ったのは、5歳くらいだったかな」と、レコードを選びながら話してくれた鳴海さん。現在のお店がある通りを、鳴海さんのお父さんが演奏しながら歩いていたその賑やかな光景が、今も鮮明に思い出されるそうだ。そして戦後の日本に次々と入って来たアメリカ文化の影響を強烈に受け、クラシック、ポップス、ジャズと、あらゆるジャンルの音楽に触れてきた。世界中のアーティストと親交を持ち、また若手を発掘しては押し上げるその才覚は、当時「なぜ青森にこんな人がいるのか?」と噂されるほどだったという。そして鳴海さんが南郷をここまで盛り上げた背景に、音楽プロデューサーとしての人脈や経験もさることながら、それ以上の視点を感じたので、そのことを書いてみたい。
フェスティバルが始まる1990年当時、担当していた行政の方々に「南郷は誰も知らない過疎の村ですよ」と言われた鳴海さん。しかし誰も知らない場所だからこそ、知られていない部分を掘り起こして「キラリと輝く星のような場所にできると思った」のだという。
鳴海さんがいう「キラリ」とは例えばこんなことだ。
今でこそ南郷の名産として知られる「蕎麦」。元々は葉タバコ作りが盛んだった南郷だが、鳴海さんは当時から、葉タバコの消費は世界的に減少していくだろうと予想していた。そこで鳴海さんは、葉タバコの農地を少しずつ蕎麦畑に転換するのはどうだろう、と村に提案をしたのだそうだ。半信半疑な村民の不安をよそに、出来た蕎麦粉を使って村の女性たち総出で蕎麦を打ち、道の駅などで販売したところ大好評を得た。出汁にもこだわったこの南郷蕎麦は、かの有名なジャズ・トランぺッター、日野皓正さんも太鼓判を押したほどだという。「南郷という小さな村だからこそ、一級の本当に良いものを作ろう」と、鳴海さんが村民たちの背中を押した産品は、ブルーベリーや蜂蜜など、現在あまりにも有名なものばかりだ。
鳴海さんが関わった最盛期で5,000人ものお客さんが訪れたという南郷ジャズフェスティバル。世界一級の音楽を最高の場所で体感しながら、そこに地元の人々の存在を感じる心のこもった何かが加わることで、観客にとってその土地は忘れ得ぬ「キラリ」輝く場所となる。鳴海さんがプロデュースしてきたのは、音楽だけではなくて、その土地に住む人の心や生活であり、そこに価値づけをしていくことなのだ。
鳴海さんは現在御年84歳。信じられないくらいのエネルギーで、今日も、次のコンサートや企画に胸を膨らませる。「僕はまだ、過去を振り返るのではなくて、未来を創造し続けたいんだよね」と、茶目っ気たっぷりに笑う鳴海さんは、30年前の南郷の始まりの時と同じように、「青森に世界中の人を集めたい」という究極を、今もまだ追い続けている現役の名プロデューサーだ。
2019.11.26
宿場町「富谷」
~街づくりにおける物語の重要性~
今月上旬から中旬にかけて、宮城県富谷市に滞在した。富谷市は、宮城県中部にある人口約5万人の市で、2016年10月に、富山町から単独で市制に移行した新しい街だ。1970年代から仙台のベッドタウンとして発展し、国道4号沿いを中心に並ぶ郊外ショッピングセンターやロードサイド店舗、集積する工場、流通企業やニュータウン、低地の農業地帯・・・というように、車中からの風景がめまぐるしく変化する。そして今回向かったのが、富谷の中心部でもある奥州街道沿いの「富谷しんまち商店街」である。現地で行われたアートイベントの運営サポートのためだった。
宿場町として栄えた富谷は、来年で開宿400年を迎える。伊達政宗公の名で、奥州街道沿いの藩の大名や旅人たちの宿場として整備するほか、当時人口の少なかった同エリアに、住民たちを住まわせ田畑を開墾させた。そして富谷は「国分の町よりここへ七北田よ、富谷茶のんで味は吉岡」と歌で詠まれるほどお茶で有名な産地になった。今回のアートイベントは、この富谷茶と富谷宿をテーマにしたものであったが、その過程で富谷の歴史の深さとマンパワーを思い知る体験ばかりだったので、この場を借りてご紹介したい。
富谷しんまち商店街には、歴史ある建物が複数残されている。宮城県最古の酒蔵「内ケ崎酒造店」や、元呉服屋で近年は地場産品販売所の「冨谷宿」、築約100年の古民家を改修したカフェなど、羨ましいほどの街並み。新しいものは次々作ることはできても、古いものだけはすぐには作ることはできないし、当時の日本人の高い美意識や技術が凝縮され保存されていることは、それだけで街の財産となる。
そして今回のイベントのメイン会場となったのは、元宿場の「氣仙屋」さん。日本的な設えをそこかしこに残し、ただそこにじっと座っているだけで、格式と隆盛を極めた時代を感じさせるほど趣のある空間。明治天皇も御休憩されたことがあるという。ところがこの場所は、ほんの数か月前まで、長年閉ざされたままの場所であったそうで、持ち主の氣仙さんは、一度は取り壊すことも考えたと言う。しかし宿として使われなくなって50年もの月日が流れた今、その扉が再び開かれた。
その陰にとある強力な女性の存在があった。私が富谷に滞在している間にも何度かお会いしたその女性は、この氣仙屋さんをもう一度地域に開こうと、率先して片付けに関わってこられたという。その女性の存在が、不安でいっぱいだった氣仙さんの気持ちを少しずつ動かした。そしてイベントで公開された2日間、地域のたくさんの方が「懐かしい」「一度見てみたいと思っていた」と喜んでくださるほど、歴史的ともいえる瞬間が生まれた。
富谷では今、こうした歴史的な場所の価値を生かしながら、まちづくりへの新たな取り組みがなされている。氣仙屋さんだけでなく、その一軒一軒に、関わる方々の物語があることを知った。それらを丁寧にひも解くことが、地域に新たなコミュニケーションや気付きをもたらすことに、私自身改めて気が付かせてもらった。翻って、今の八戸はどうだろうか?
ところで氣仙屋さんは八戸藩の定宿でもあったそうで、当時の看板も残されていた!奥州街道がつないだこのご縁。みなさんにもぜひ一度富谷に足を運んでみてほしい。
シェイクスピア劇場
~ 英国に見る「文化の自立」~
ラグビーワールドカップで盛り上がる昨今である。イングランド、スコットランド、ウェールズ・・・といった世界の強豪国の名前を耳にすることも多い。屈強な男たちがボールひとつ、ゴールひとつを争ってぶつかり合う様子は、迫力だけではない感動と興奮を与えてくれる。
今からちょうど1か月前のこと、これらの強豪国を含むイギリスに行ってきた。1週間ほどの短い旅であったのだが、今でもその旅の途中にいるような気がするほど、印象深い旅となった。加えてラグビーワールドカップが始まったものだから、頭の中ではユニオンジャックがはためき続けている。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4国からなるイギリスは、現在はEU離脱をめぐって揺れに揺れている。そうした情勢が、市民生活やメディアのあちこちに滲むのを肌で感じながらの旅となった。
旅の主な目的は、スコットランドのエジンバラに行くことだったのだが、その前後で立ち寄ったロンドンでの体験を中心に、感じたことを書いてみたい。。
イングランドが誇る劇作家、詩人の「シェイクスピア」は、我々日本人も触れることの多い存在である。卓越した人間観察眼とその描写は、ルネサンス期演劇を代表するものであり、また言語学的にも貴重な資料となっている。そんなシェイクスピアの劇場「Shakespeare's Globe」に足を運んだ。テムズ川のほとりにあるこの劇場では、春から秋にかけて、毎日(!)数本の舞台公演が行われる。この日、1600年ごろの作と言われるシェイクスピアの喜劇「As you like it」(邦題:「お気に召すまま」)を観劇した。
時代を越えて受け継がれていること、役者さんのレベルの高さ、衣装や美術から溢れ出す重みのある感覚はさることながら、最も感動したのは劇場とお客さんとの距離。せり出した舞台が特徴のこの劇場は、お客さんと役者が近い距離でコミュニケーションできるようにと、シェイクスピア本人が考えたもので、yardと呼ばれる立ち見席が特に人気だという。5ポンドという手頃な入場料に加えて、役者と近い距離で、ライブ感覚で楽しめることがその理由だ。この日の上演中も、役者が客席から現れたり、お客さんに絡んだりと、爆笑の2時間半。400年前に生まれた古典が現代に引き継がれるその間に、観客の確かな存在があることを目撃した。
また、天井が吹き抜けになっているこの劇場では、飛行機や鳩がときおり飛び交ったり、自然光がやさしく観客を照らしたりと、何もかもが、いわゆるお行儀のよい劇場にはない興奮に満ちていて、こうした劇場の長い歴史の積み重ねが、ロンドン市民の文化へのリテラシーを上げ、また劇場を応援するムードが自然と生まれているのだろうと思った。
翻って私たちの住む日本はどうだろう?一つの例であるが、昨今、とある芸術祭で表現の自由を巡って展覧会が中止され、交付予定の補助金が交付中止になるなど、波紋を呼んでいる。この騒動に関してはさまざまな論点があるが、「文化の自立」という観点から見ると、日本は諸外国に比べ周回遅れの状況であるように思う。そしてこの騒動が映し出すものは、単に予算がなくなったということではなく、その根底にある、文化や表現が国民の中にどう位置すべきかという、国と国民との認識の大きなズレそのものではないだろうか。考えれば考えるほど、それを修復する道のりの長さに愕然とする。
だからこそ、八戸という街で、どのようなビジョンを持って文化や表現に関わる事業を運営し、市民が参加し、発信するかということを、独自の手法で自立的に考えることに意味がある。400年前のシェイクスピアは、そんなところまで見据えていたのかもしれない。
鳴海師範
~心身を整えるサードプレイス~
私事であるが、最近、空手を習い始めた。きっかけは、東京に住む甥っ子が空手を習っており、その付き添いで何度か道場に足を運ぶ機会があったことだった。小さな子どもたちが、その体よりだいぶ大きな真っ白な道着に身を包み、号令に合わせて必死に稽古をする姿はとても愛らしい。にも関わらず、彼らを子ども扱いすることなく、大人と同じような言葉をかけ指導する師範の立ち居振る舞いは、見学している大人にこそ響くものがあり、その場にいるだけで身が引き締まるような緊張感があった。
「人に優しくできない人は強くなれない。なぜならそれは、周りを観察できていないということだからだ」。今でも忘れない師範のこの言葉は、そのほんの数日後の私を八戸の道場に駆けこませるほど、強く衝動をかき立てるものだった。
訪ねたのは「新極真会青森支部・鳴海道場」。空手などこれまで一度もやったことがない上に、道場に「入門」しその一員となるということは、今思えば気軽にすべきことではなかったと思う。しかし勢いで行った初日、まず子どもの生徒の多さに驚いた。聞くところによると、空手は今子どもたちに人気の習い事ベスト3に入るほどの人気だという。意外!そしてそんな子どもたちが群がる先にいたのが、この道場をまとめる鳴海師範だった。さぞかし屈強そうな師範が待ち受けていることだろうと覚悟していたのだが、小柄で柔和そうな師範がそこにいた。意外!と、なんとなくほっとしたのを思い出す。しかしその安堵も束の間、ベテラン勢に混じって見様見真似で身体を動かすことに。その後の私の惨事はみなさんの想像にお任せしたい。
一方で、この道場なら、私でもなんとか続けられるかもしれないと思えることばかりだった。その1つが、稽古中の鳴海師範の言葉の数々だった。「空手にはもちろん型がありますが、身体というのは一人ひとり違って、個性を持っています。だから、稽古を通じて自分だけの空手を見つけて創造してほしい。」これまた意外過ぎる言葉に驚きながらも、それなら自分も頑張ればいつか見つけられるかもしれない、と思った。そして鳴海師範は、自分の身体一つでそれを相手に伝えるという、繊細でクリエイティブな現場の最先端にいるのだ。何もかも意外すぎる空手の世界に、私はこうして惹かれていった。
稽古の中で印象的な鳴海師範のもう一つの言葉がある。「依存しない、対立しない、流れを止めない」。これは、実際に相手に技で向き合う時の基本的な姿勢であるが、同時に、日本人ならではの精神性を表すものだと師範が教えてくれた。「和を尊ぶ」という言葉があるが、情報過多・グローバル化する現代だからこそ、取り戻すべき日本らしさというものが確かに存在する。稽古では、そんな時代に惑わされることのない「動じない心」や「自分自身を見つめる力」そして「日本独自の感性」を養う。
精神論ばかりを語ってきたが、身体を動かすことは純粋に気持ちがいい。意識的に身体を開放すると、心まで開かれていくのが感じられる。全くできないことに挑戦してボロボロになる感覚も、なんだか懐かしい。
空手のススメ-。心を整え、身体を開放する時間。道着に身を包み、気合いを入れて自分を律する時間。
「いつか、はっちやマチニワのようなオープンな場所で、一斉稽古したら面白いんじゃないか?」そんなアイディアも皆から出てくるほど、現在進行形で進化する鳴海道場は、まさにサードプレイスのような存在。その先頭で走る鳴海師範の稽古を、もっと多くの人に見てもらいたいし、体験してみてほしい。